最終更新:2023年3月15日(最新の更新箇所は赤字で記載)
補足:
・自分が現在把握している資料をざっと洗い出したところ、まだまだ多くの資料があるため、今後少しずつ更新して充実させる予定です。
・部屋の中で自分の身体の近くにあって、ある程度記述内容の真偽を確認できた順に資料の情報をUPしていきます。UPする資料情報の順番について、その他に特別な意味はありません。
・本関連資料一覧を作成する上で、上原誠一郎氏提供の労作「ダダカン関連書誌」(管理番号:O-IK-2008-003)が大いに参考になりました。上原さんのご尽力に敬意を表すと共に、感謝を申し上げます。
管理番号 | 資料名 | 著者名 | 出版年 | 出版者 | 備考 |
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M-IKMT-1996-001 | Quick Japanクイック・ジャパンVOL.6 | 赤田祐一編集発行人、村上清編集 | 1996 | 太田出版 | P133-147に竹熊健太郎『竹熊健太郎のみちのく紀行'96伝説の聖人糸井貫二師を求めてダダの細道前編』掲載。竹熊が雑誌や新聞、書籍を通して知った糸井貫二の情報と、「Kという男」から聞いた糸井が美術展に出品した作品の話を記している。しかし、「糸井貫二(ダダカン)年譜・(家系図は別添付)」(管理番号:O-VA-2008-001)によると、P140に掲載されている「Kという男」が観た作品について上原誠一郎が糸井本人に確認したところ、糸井がそのような作品を出品した事実はないとのこと。他、糸井について語る宮城輝夫、水上旬へのインタビューをそれぞれ収録している。輝夫のインタビュー中で、P142に宮城が勤めていた大学名が「三島大学」となっているが、正式な名称は「三島学園女子大学」。また、同ページにおいて輝夫が「よくダダカンも大学にフラッと現れて「儀式」をやっていったんですね」と語っているが、生前筆者が糸井に確認したところ、糸井は三島学園女子大学には一度も行ったことがないそうで、首を傾げていた。その後に続けて、三島学園女子大学の学生による、来場者が皆、蜘蛛の巣に絡み取られるパフォーマンスが面白かった(前述の管理番号O-VA-2008-001の資料8ページ目、1969年1月2日にも「三島女子美生二名によるくもの巣ハプニング観客、出席者全員からみとられる」と記載あり)と思い出を語っていたため、輝夫が、大学の学生の展示会等と言いたかったのを言い誤ったか、竹熊の聞き間違いの可能性がある。前述の管理番号O-VA-2008-001の資料によると、P143に掲載されている「ダダカン師から芸術家水上旬氏に宛てて郵送されたメールアート」のうち、③は糸井作ではなく、石川舜の作品であるとのこと。 |
M-VA-1996-001 | Quick Japanクイック・ジャパンVOL.7 | 赤田祐一編集発行人、村上清編集 | 1996 | 太田出版 | P4に赤い貫頭衣を着て歩く(走る?)糸井のカラー写真が掲載されている。この写真に「pic:羽永光利」とキャプションが付いているが、この写真は羽永光利が撮影したものではない(黒ダライ児「肉体のアナーキズム」P15に掲載された同写真のキャプションでは、「撮影者不明」となっている)。P169-192に竹熊健太郎『竹熊健太郎のみちのく紀行'96伝説の聖人糸井貫二師を求めてダダの細道後編』掲載。竹熊と糸井の手紙のやり取り、竹熊と編集者の赤田祐一が糸井の自宅を訪問して行ったインタビューの内容が記されている。また、豊島重之へのインタビューと「ダダカン儀式年譜」が掲載されている。豊島はインタビューで仙台西公園野外アートフェスティバルについて触れており、「石川舜という画家がいまして、彼が若手中心の「仙台野外展」を開催するというので、市内のあちこちに看板を立てたわけですよ。」と語っている。以下、P180-181の「ダダカン儀式年譜」への指摘。1932年の記載「成城中学に入学。」は「糸井貫二(ダダカン)年譜・(家系図は別添付)」(管理番号:O-VA-2008-001)および「ナラティブの修復」(管理番号:B-VA-2022-001)によると1933年である。1944年の記載「軍の命令で九州で炭鉱夫や戦車隊の補充兵として働く。」は1945年が正しい。1951年の記載「三月 第三回読売アンデパンダン展に初出品。「彩色した卵のオブゼ」。」は「第三回日本アンデパンダン展」が正しい。また、開催期間は2月27日から3月18日であり、出品作の正式名称は「たまご」である。1958年に「三月 第一〇回読売アンデパンダン展「ガラス絵の版画・箱」」と記載されているが、この時の出品作は「無動」、「無位」(以上、絵画の部)、「菩薩」、「ぶどうと子供」、「芽」(以上、版画の部)、「放射能」、「宇宙人」(以上、彫刻の部)。1959年に「三月 第一一回読売アンデパンダン展「鳩舎」」と記載されているが、この時の出品作は「非常」(以上、絵画の部)、「パートタイマーのうた」(以上、版画の部)、「鳩飼いし頃」(以上、彫刻の部)。1960年に「三月 第一二回読売アンデパンダン展「ネハン堕堕」他。」と記載されているが、この時の出品作は「涅槃達陀」、「障子」、「えだ」(以上、絵画の部)、「阿字観」、「「行動だ」」、「間」(以上、彫刻の部)。1961年に「一二月 第一三回読売アンデパンダン展「出た!ビートニックが」「ダダカン宣言」」と記載されているが、「三月」が正しい。また、この時の出品作は「ダダッ子貫ちゃん」、「作品-3」(以上、絵画)、「個展」(以上、彫刻)。1962年に「英雄たちの大集会」開催地が「百地海岸」と表記されているが、「百道」が正しい。1963年に「三月 第一五回読売アンデパンダン展「ダダカンの鞄」。」と記載されているが、この時の出品作は「ダダカンの鞄」と「43才になつた一匹狼」。1964年に「九月 仙台アンデパンダン展に「メット」出品」と記載されているが、出品作の正式名称は「ゼロの男」である。1966年に「八月 大徳寺参禅管長とホモ問答(京都・烏丸通)。」と記されているが、前述の管理番号O-VA-2008-001の資料によると、上原誠一郎が糸井本人に確認したところ、この事実はないとのことである。1967年に糸井がパフォーマンスを行った場所として、「新宿西口フーテン広場」と表記されているが、「東口」が正しい。1970年に「四月 「手配犯人風全裸逃げ」(大分県中津駅前。指名手配中の犯人にダダカンが誤認され、警官から裸で逃げ回る)。」と記載されているが、前述の管理番号O-VA-2008-001の資料によると、「全裸」ではなかったとのことである。1971年に「四月 豊島重之演出の映画『高野聖』に出演。」と記載されているが、前述の管理番号B-VA-2022-001の資料によると、これは1970年12月のことである。1971年に「長年親戚の家で病に伏せていた母親の処遇につき、「もし病母の意思に反して強制入院させるのであれば医療費の送金を打ち切り、手持ちの全財産を焼却する」と親戚に通告。」と記載されているが、前述の管理番号O-VA-2008-001の資料によると、この事実はないとのことである。1971年に「九月 「一千万円焼却儀式スタート」スタート。妹宛てに半焼けの一万円札五枚送付。芸術家さいとうよしあき氏に焼札五万円。同じく水上旬氏に焼札五万円。親戚が詫びを入れ儀式中止。」と記載されているが、前述の管理番号O-VA-2008-001の資料によると、「水上旬氏に焼札五万円。の部分以外はこの事実なし」とのことである。しかし、前述の管理番号B-VA-2022-001の資料では、略年譜中、P157に「9月 《一千万円焼却儀式》を開始。さいとうよしあき、水上旬に半焼札5万円を送る。」と記載されている。他、読者からの手紙掲載コーナー「LETTERS」P199に、前号の糸井についての記事の感想を書いた手紙が2通掲載されている。そのうち1通の内容は以下のとおり。「(前略)ダダカン氏の記事には感じ入りました。記事中の仙台在住の宮城輝夫氏は、私の記憶が正しければ、私の実家の近所にいらした方ではないでしょうか?地元では、KENZOというケーキ屋さんのイラスト描いてたりしたと思うんですが……。ちょっとなつかしい。」 |
B-VA-1998-001 | 箆棒な人々戦後サブカルチャー偉人伝 | 竹熊健太郎編著、北尾修一編 | 1998 | 太田出版 | 「Quick Japanクイック・ジャパンVOL.6」(管理番号:M-IKMT-1996-001)、「Quick Japanクイック・ジャパンVOL.7」(管理番号:M-VA-1996-001)に連載された『竹熊健太郎のみちのく紀行'96伝説の聖人糸井貫二師を求めてダダの細道』を改稿した「糸井貫二ダダの細道」掲載。雑誌掲載時からの大きな変更は以下。「「お金」の想い出」の章が追記されている。宮城輝夫、水上旬の談話の前後に文章が追記されている。「ダダカン儀式年譜」は再録されていない。また、掲載写真点数も少なくなっている。「『クイック・ジャパン』と『箆棒な人々』(あとがき)」の中でも、P339、P350に、糸井への言及がある。 |
M-IK-1998-001 | Quick Japanクイック・ジャパンVOL.21 | 村上清編集人、大塚幸代、大久保保太郎編 | 1998 | 太田出版 | P10-11に竹熊健太郎『幻の裸体行動芸術家・ダダカン再訪記その1』掲載。竹熊が「クイック・ジャパン」VOL6とVOL7に掲載した糸井記事の要約と、再訪にいたるまでの竹熊と糸井の手紙のやり取り、糸井宅の玄関のドアを開けるまでが記されている。P122-123に、竹熊健太郎『幻の裸体行動芸術家・ダダカン再訪記その2』掲載。糸井が竹熊と赤田祐一の前で、裸の三点倒立パフォーマンスを行い、京都の息子に会いに行ったエピソード等を語る様子が記されている。三点倒立パフォーマンスを行う様子のカラー写真が掲載されている。P124に、竹熊健太郎『戦後サブカルチャー偉人伝箆棒な人々』のカラー広告掲載。ここにも、裸でポーズをとる糸井のカラー写真と簡単なプロフィールが掲載されている。 |
B-IK-1999-001 | 毎日ムック シリーズ20世紀の記憶連合赤軍・“狼”たちの時代1969-1975 | 西井一夫編集長 | 1999 | 毎日新聞社 | 「大阪万博」のP100に掲載された8枚の写真のうち1枚は、万博会場で警官に連行される糸井貫二の写真。「「太陽の塔」下でストリーキングを敢行、捕まった男、まさしくそこは広場だった…1970年」とキャプションが付されている。 |
B-VA-1999-001 | 宮城県芸術年鑑平成10年度 | 宮城県環境生活部生活・文化課編 | 1999 | 宮城県環境生活部生活・文化課 | 宮城四郎関連資料ページ、管理番号B-VA-1999-001参照。 |
B-IK-2004-001 | 空間の行間 | 磯崎新、福田和也 | 2004 | 筑摩書房 | 「第十二回「お祭り広場」と三島由紀夫」という章の「両方とも結果的に挫折した」というセンテンスにおいて、福田和也が「三島の突きつけたものが本当に何かを変えたかというと、変えたようにも見えない」(P309)、磯崎新が(三島由紀夫と岡本太郎の試みについて)「結果として両者は挫折したんだと思います」(P310)と批判した後、磯崎が以下のように語る。「ただ、三島由紀夫があれをどう見ただろうという事件が万博で起こった。ダダカンというパフォーマーが素っ裸で走った。なぜダダカンがあそこを走ったのかというと、ちょうど同じコースをオープニングで天皇が歩いたからだと僕は以前から思っているんです。「太陽の塔」の真っ黒の顔の前に天皇のロイヤルボックスがあって、僕のデメロボが来て煙を噴く。そこから小学生の鼓笛隊が飛び出て、花吹雪がぱっと降りる。この時の天皇のコースを、改めて走っている。日本共同体の天皇がいて、裸の男が走る。三島由紀夫はおそらく、ダダカン的なものに対する近さは持っていただろうと思うんだな。」。なお、「ダダカン」には以下の注釈が付いている。「前衛芸術家。本名糸井貫二。第三回読売アンデパンダン展に出品後、各地でハプニングを展開した。」 |
F-IK-2008-001 | 「ダダカン2008糸井貫二・人と作品鬼放展」パンフレット | ‐ | 2008 | Les ales de la terra | 銀座のギャラリーアーチストスペース(2008年9月8日~20日)と東高円寺のギャラリーPara GLOBE(2008年9月14日~27日)で開催された「鬼放展」(キュレーター:小坂真夕、鳥水亭木呂)と浅草木馬亭で2008年9月12日に開催された「ダダカンシンポジウム」のパンフレット。 |
O-IK-2008-001 | ダダカンさんと私 | 上原誠一郎 | 2008 | 上原誠一郎 | A4用紙1ページ。2008年に開催された「ダダカン2008糸井貫二・人と作品鬼放展」の企画経緯が綴られた随筆的な文章。 |
O-IK-2008-002 | ダダカンオブジェ論 ダダカンとデュシャンの「ポルノ小屋」 | 上原誠一郎 | 2008 | 上原誠一郎 | デュシャンの作品と糸井貫二のオブジェ作品の類似性に言及し、ハプニングに注目が集まりがちな糸井のオブジェ作品について評価の再考を主張する論考。A4用紙3ページ。 |
O-IK-2008-003 | ダダカン関連書誌 | 上原誠一郎 | 2008 | 上原誠一郎 | A4用紙2ページ。鈴木所有のものは、2008年3月15日更新版。糸井への言及がある、もしくは糸井の文章や写真が掲載されている38点の書籍・雑誌のリスト。 |
O-VA-2008-001 | 糸井貫二(ダダカン)年譜・(家系図は別添付) | 上原誠一郎 | 2008 | 上原誠一郎 | A4用紙14ページ。鈴木所有のものは、2008年3月15日更新版。P1~P11:年譜、P12:家系図、P13:「「この事実なし」あるいはそれに準ずる2008年3月1日の年譜訂正の本人記述」と題された、これまでに発刊された糸井貫二関連の雑誌や書籍の記述に関する訂正の指摘、P14:「ダダカン問答記」と題された、いくつかの糸井へのヒアリング内容を記した文章。P7の西公園アートフェスティバルの記述に石川舜の名前が、P8の「さいとうよしあき企画ハプニング展」の来場者として宮城輝夫の名前が、それぞれ現れる。 |
C-IK-2009-001 | JET JET JET!! | JETBOYS | 2009 | Solid Records | パンクバンドJET BOYSが2009年に発表したCDアルバム。19曲目に「ダダカンさん」という曲が収録されている。 |
E-VA-2009-001 | 「前衛のみやぎ 昭和期芸術の変革に挑んだ表現者たち」パンフレット | 大嶋貴明、三上満良、和田浩一/宮城県美術館学芸部 | 2009 | 宮城県美術館 | 2009年6月20日から8月16日に宮城県美術館で開催された企画展「前衛のみやぎ」展のパンフレット。加藤正衛、宮城輝夫、糸井貫二、新國誠一、佐々木正芳、石川舜ら15人の出品作家の出品作品リストと略歴が掲載されている。 |
M-IKMT-2009-001 | 東北文化友の会会報『まんだら』第41号 | 赤坂憲雄、岸本誠司責任編集 | 2009 | 東北芸術工科大学東北文化研究センター | P46-48に、小池浩一「特派員レポート1前衛のアイコン、ダダカン健在」掲載。糸井の住む鬼放舎を椎名雄仁と訪問した経緯や、椎名がパフォーマンス「殺す菜」を糸井の前で披露したこと等を記している。P48に、宮城県美術館で2009年に開催された「前衛のみやぎ」展において糸井の展示の「となりには宮城輝夫氏の作品があり、平成の時間を共有しているのがいい。」という記述がある。 |
M-VA-2009-001 | 仙台市市民文化事業団情報誌ARSEN[アルセン]2009.7vol.73 | 仙台市市民文化事業団編 | 2009 | 財団法人仙台市市民文化事業団 | 「art review やんや」というコーナーに、歌人の佐藤通雅が「これこそが前衛……」というタイトルで「前衛のみやぎ」展(宮城県美術館)のレビューを寄稿している。同展の印象の他、学生時代に仙台アンデパンダン展のアルバイトを行った佐藤が、宮城輝夫の家に作品搬入に行ったり、会場で糸井貫二が作品を展示する様子を見た思い出を記している。「機会があるたびに見てきた」作家として、井出則雄、佐々木正芳、石川舜、中本誠司らの名前も挙げている。 |
O-VA-2009-001 | 「前衛のみやぎ 昭和期芸術の変革に挑んだ表現者たち」案内状 | ‐ | 2009 | 宮城県美術館 | 2009年6月20日から8月16日に宮城県美術館で開催された企画展「前衛のみやぎ」展の案内状。ポストカード型で両面に展覧会情報が印刷されており、2名までの招待券として使用できるもの。また、表面に加藤正衛、宮城輝夫、糸井貫二、新國誠一、佐々木正芳、石川舜ら15人の出品作家の名前が記載されている。鈴木が所蔵しているのは糸井貫二から郵送されてきたもの。裏面に「2009.6.17ダダカン」と記され、50円郵便切手(2008年7月23日に発売された「はろうきてぃ」のグリーティング切手。ハローキティが十二単を着ているもの)が貼られている。 |
F-IK-2011-001 | 「『ダダッ子貫ちゃん』仙台上映会」フライヤー | ‐ | 2011 | 竹村正人 | 2011年10月7日に超五感cafe&gallery パンゲアで開催された竹村正人監督のドキュメンタリー映画『ダダッ子貫ちゃん』上映会のフライヤー。 |
M-VA-2012-001 | S-meme04現代美術と地域 | 五十嵐太郎発行者、出原日向子、伊藤幹、大内まさ敏、大沼久美、川村亨太、筒井としい、斧澤未知子編集制作 | 2012 | せんだいスクール・オブ・デザイン | 宮城四郎関連資料ページ、管理番号M-VA-2012-001参照。 |
M-VA-2013-001 | S-meme05地方都市の美術とツーリズム | 五十嵐太郎発行者 | 2013 | せんだいスクール・オブ・デザイン | P1-2に高橋彩「宮城県美術館学芸員の仕事は編集と似ている」掲載。当時宮城県美術館学芸員であった三上満良へのインタビュー内容をまとめた文章である。P7-8、弓削健太郎「タノタイガ個展「風が吹くとき」WHEN THE WIND BLOWS」に関本欣哉の名前が出てくる。P11-12に椚座基道「青野文昭スタジオヴィジット」掲載。P15-18に鈴木直樹「宮城県現代美術史 後半」掲載。現代作家クラブ結成、西公園アートフェスティバル開催から2013年当時までの宮城県の芸術活動の流れを概説した文章である。文中、石川舜、鈴木征一、長谷部昭義、豊島重之、宮城輝夫、糸井貫二、佐々木正芳、米谷栄一、吉野辰海、村上善男、井手則雄、土屋瑞穂、齋正弘、高山登、武田昭彦、二宮不二麿、中本誠司、椎名勇仁、青野文昭、関本欣哉らについて触れている。なお、奥付の「執筆者一覧」において、鈴木直樹のプロフィールに「1981年、北海道生れ。」とあるが、「1980年」の誤りである。 |
B-IK-2015-001 | 日本美術全集第19巻戦後~一九九五拡張する戦後美術 | 椹木野衣責任編集 | 2015 | 小学館 | 掲載図版の120番目、「第三章 戦後の「混沌」」に、糸井のパフォーマンス写真(1970年9月20日、仙台の糸井自宅付近で羽永光利が撮影したもの。本来横長の写真だが、縦長にトリミングされている)が掲載され、「殺すな 糸井貫二1970(昭和45)年」というキャプションが付されている。「図版解説」のP260に福住廉による、同パフォーマンス/写真、そして糸井貫二についての解説が掲載されている。椹木野衣「よみがえる「戦後美術」―しかしこの車はもと来た方向へ走っているではないか」の文章中、「そして大阪万博へ」の章のP179に「路上での発表では裸体をさらす活動が一世を風靡したことが特筆に値する」とのことで、グループGUN、ゼロ次元と共に糸井の名前が挙がる。また、同文章中、「ポスト・フェストゥム(祭りのあと)」の章のP181に「万博芸術へと合流した」表現者の名前が挙げられていく最後に、「また、これらに公然と反旗を翻したゼロ次元や『太陽の塔(カラー図版103)の直下を裸で走り抜けて逮捕された糸井貫二までを含めれば、まさしく大阪万博とは、日本の戦後における百花繚乱であり、同時に最大の百鬼夜行でもあった。」という文がある。「年表」のP302に、1970(昭和45)年の、「4・27」に「 糸井貫二、「お祭り広場」を全裸で疾走し逮捕」、「この年」に「糸井貫二『殺すな』(120)」(「(120)」は図版の番号を表す)とそれぞれ記載されている。「LIST of PLATES 作品リスト」のP309に「120 殺すな 糸井貫二 Don't kill by Itoi Kanji」と記載されている。なお、宮城県美術館の所蔵品からは、高良眞木『土』、篠原有司男『おいらん』、長谷川潾二郎『猫』の図版が収録されている。 |
B-IK-2017-001 | 最後の場所 現代美術、真に歓喜に値するもの | 南嶌宏 | 2017 | 月曜社 | 信濃毎日新聞2010年12月19日号に掲載された「[書評]黒ダライ児『肉体のアナーキズム』」がP496~P497に収録されている。P496に「肉体表現といっても、それは演劇やダンスのことではない。大阪万博の《太陽の塔》の前を裸で走り回ったダダカンこと糸井寛二の、あのアナーキーな行為を思い出してほしい。」という記述がある。資料によって誤差があるが、実際は、糸井は15メートルから30メートル走ったところで警察に確保されたようであり、「走り回った」は多少誇張された表現である。また、名前が「寛二」と誤記されている。 |
B-IK-2021-001 | 東京ゴースト・シティ | バリー・ユアグロー著 、柴田元幸訳 | 2021 | 新潮社 | 小説。P223~P233「その21 東京三点倒立」に「ダダカンの若いときの幽霊」が出てくる。P235にも「ダダカンの若いころの幽霊」への言及がある。裏表紙のイラスト左下に糸井貫二らしき人物が描かれている。 |
F-IK-2021-001 | 「ナラティブの修復」展パンフレット | ‐ | 2021 | ‐ | 2021年11月3日から2022年1月9日にせんだいメディアテークで開催された同展のパンフレット。ダダカン連の略歴を掲載。 |
F-IK-2021-002 | 「ナラティブの修復」展会場案内 | ‐ | 2021 | ‐ | 2021年11月3日から2022年1月9日にせんだいメディアテークで開催された同展の受付で配布された会場案内。会場の平面図、ダダカン連の声明と糸井貫二の略歴を掲載。 |
B-VA-2022-001 | ナラティブの修復 | 清水建人、脇山妙子編 | 2022 | 左右社 | 2021年11月3日から2022年1月9日までせんだいメディアテークで開催された、せんだいメディアテーク20周年記念「ナラティブの修復」展公式図録。P148-157に「ダダカン連(細谷修平、三上満良、関本欣哉、中西レモン)絶対的自由と絶対的肯定の人・ダダカン 糸井貫二の日々~資料アーカイブ構築に向けて~Days of Kanji Itoi, Known as Dadakan: A Man of Absolute Freedom and Absolute Positivity ?For Building His Material Archive」という表題で、展示風景写真、会場で上映された映像のキャプチャ画像、「糸井貫二略年譜」を掲載。略年譜中、P156に「8月 イトイ父子コラージュ展」(東京電力サービスセンター/東京・目黒)。」と記載されているが、「目黒」は「銀座」の誤りである。P158-171に「展示作家による座談会「近代の自我」という問題──ダダカンを「展示」すること細谷修平×三上満良×関本欣哉×中西レモン」という表題で、ダダカン連の四氏による座談会を掲載。P159、160、162に石川舜への、P160、162、168に宮城輝夫への、P160に増子静への、P160に豊島重之への、P161、169にさいとうよしあきへの、P161、169に上條順次郎・鈴木光一・鈴木征一・永寿日郎への、P162に翁ひろみへの、P168に村上善男への、言及がそれぞれある。P186-187「作品リスト」に「10 ダダカン連(細谷修平、三上満良、関本欣哉、中西レモン)《絶対的自由と絶対的肯定の人・ダダカン 糸井貫二の日々~資料アーカイブ構築に向けて~》(2021年)」の表記と会場平面図掲載。「執筆者略歴」のP191に「ダダカン連」のプロフィール掲載。「謝辞」のP192に青野文昭の、P193に糸井貫二、糸井義朗、天野清子、増子静の名前が記されている。P194「展覧会情報」の「関連イベント 展示作家による作品解説」の「11月21日」に「ダダカン連」の記載がある。 |
F-IK-2022-001 | 「糸井貫二木版画展」フライヤー | ‐ | 2022 | ダダカン連、一般社団法人戦後芸術資料保存 | 2022年10月12日から10月22日にGallery TURNAROUNDで開催された同展のフライヤー。A4両面カラー。4点の版画のカラー図版掲載。 |
F-IK-2022-002 | 「糸井貫二木版画展」パンフレット | ‐ | 2022 | ダダカン連、一般社団法人戦後芸術資料保存 | 2022年10月12日から10月22日にGallery TURNAROUNDで開催された同展のパンフレット。A3二つ折両面カラー。多数の版画のカラー図版、「糸井貫二と同人誌『遊』の俳石版画」と題した、三上満良による解説文、糸井貫二のプロフィール等を掲載。 |
2023年2月15日公開